大塚博堂の想い出

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最近になって、思いがけず大塚博堂さんの曲を聴きかえす機会が出来た。
大塚博堂と言う名前は最近の人にはほとんど馴染みの無いものになってしまった。

初めて博堂さんの存在を知ったのは高校を卒業して、大学に通いだした頃だったろうか。
歌う吟遊詩人と呼ばれた博堂さんの大人の恋愛を描いた世界は、ずっと拓郎、かぐや姫、風、陽水などに夢中だった自分には、少し大人びた感じを受けたものだ。
そしてやはりOLを中心とした大人の女性から圧倒的に支持されていたようだ。

ようやく成人を過ぎ、酒の味を覚えて行きつけの飲み屋さんなどが出来た頃、よく通っていた札幌の24条のスナックのママが博堂さんのファンだった。
その頃夜の店にはカラオケと言うものがようやく出始めの頃で、主流は確か8トラック(懐かしい!)だった。
今のように猫も杓子もカラオケをやる様な時代でなくて、本当に歌に自身のある者でなければ歌わなかった時代だった気がする。
その店のママから博堂さんの「過ぎ去りし想い出は」や「ピアノコンチェルトは聴こえない」などをせがまれて、必死で覚えてお店で披露していたあの頃・・・・

大塚博堂さんは28歳の時一度違う芸名でデビューするが全く売れずに、4年間クラブ歌手などを続けて実力を磨いて32歳の時本名で再デビューを果たす。(本名は博堂=ひろたか)と読むそうです。
そして「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」等のヒットにより一躍脚光を浴びようやくミュージシャンとして成功をつかむ。
布施明に提供した「めぐり逢い紡いで」など名曲を生み出すが、1981年の5月に突然に脳内出血により37歳の若さでこの世を去ってしまった。
実質の活動期間はわずか5年間・・・でも想い出の曲を残してくれた。

札幌の24条の店も帰省した時は必ず顔を出していた。
しかしとうとう数年前についに店をたたみ、みんな大切な過去の想い出になってしまった。

そんな事も忘れかけていた昨今、実は我々がライブをやらせて頂いているお店の女性オーナーが博堂さんのファンだった事を知り、前回のライブの時に「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」と「めぐり逢い紡いで」をソロで弾き語る機会をもらった。
嬉しい事に大変に感激して頂き、また次回披露する事になりそうである♪



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